他力と言うは、如来の本願力也
『教行信証』「行巻」より
【意訳】
他力とは、阿弥陀如来の本願のはたらきのことです。
七月に九州地方を襲った豪雨災害。人吉住む友人にすぐさま連絡を取り、必要な物資を送りました。けれども他には何もできません。心配するだけで、自分の頼りのなさが悲しくなります。
「頼む」私
「たのんだよ!」。日常生活でよく耳にする言葉です。たのまれると、頼りにされているようで、嬉しい気持ちになります。
私自身「たのみます」とお願いすることも、自分に「たのむよ!」と、発破をかけることもあります。この場合は「頼む」と書いて「あてにする」と言う意味があります。
要は、他人をアテにし、自分自身の能力や健康などをアテにするのです。当然、アテは外れることがあります。
「憑む」親鸞聖人
親鸞聖人も「他力をたのむ」と仰いますが、「よりどころとする」という意味がある「憑む」と書かれます。他力とは如来の本願力のこと。阿弥陀さまのはたらきは、アテにするものではなく、拠り所だからです。
頼りない私だと悲しく思うのは、言葉を変えれば、何かできるハズだと思い込んでいたのです。私はアテしてもらえる存在だ、他人のために何かできるハズだと。けれども現実は違います。慈悲の真似事ができたとしても、できることには限度があります。有限の存在である私が行う、有限の行為です。そのことがハッキリと思い知らされるのは、無限の存在に出遇った時です。お念仏によって、有限の私たちにとって「他」なる無限のはたらき(「力」)があることが思い起こされるのです。
念仏とは仏を念じる、仏を憑むということです。お念仏をいただき、気づかされるのは、自分をアテにしている私の姿です。
「ともしび」9月号(第477号)